その7
   

 何かを愛するとは、自分をみつめることです。相手を知り、何が必要かを観察して分析する。そして自分をふりかえり、そのうちの何ならできるかを考えます。溺れるほど何かを愛すれば、自身との対話をくりかえさねばなりません。結果、いつのまに全然違う自分に出会えるのが、おもしろいです。
 わたしはこれまで、いい会社、いい仕事をして、人にほめられるのが好きでした。オシャレして、みんなにサービスして、モテるのが好きでした。きみがいなければうちの組織は成り立たない、と言われるのが大好きでした。虚栄心の塊でした。でも。完璧主義のくせして、自分がほんとは無能なのも知ってました。それを自分と他人に隠し、ごまかすための肩書きを、必死で欲しがってきました。
 だけど、猫に出会いました。自分がどんどん変わっていくのを感じました。

 お金、地位、権力、美貌、そんなものがいくらあったって、幸せとは関係ありません。人の欲にはキリがないです。百万円が空から降ってくれば嬉しいけれど、幸せは、拾ったその瞬間しか得られません。百万円に慣れてしまえば次は、一千万が降ってこなければ幸せになれなくなります。そんなものは本当の幸せではありません。
 そして猫は、いつも幸せそうです。何も持ってないのに、ただ昼寝してるだけなのに。顔をくしゃくしゃに掻いてやれば目を細め、至福の心地の伸びをします。 なぜ、いつもこんなに幸せなのでしょう。

 猫は、満ち足りることを知ってます。
 温かい寝床、おいしいごはん、愛してくれる人間。それだけあれば幸せになれます。本当に大切なものを知っているから「猫に小判」。よけいなものを欲しがりません。
 ならばわたしの満ち足りるとは、何でしょう。
 人それぞれ、幸せの基準はちがいます。わたしの幸せは、わたしが考えるしかありません。
 そして、わかりました。猫と、猫と暮らせるこの部屋と、ダンナ。それだけあれば幸せになれることを、猫を見ていて、はじめて気付きました。

 もしかしたら近いうち、会社を辞めるかもしれません。
 どれだけ人にほめられる会社でも、今のわたしには必要なくなっています。
「わたし、できないんです」
 笑って言えるようになった自分が、ここにいます。
 いつのまにか、世界を見る目が変わっていました。新しい自分をみつけるたびに、解放され、自分で勝手に作ったしがらみから自由になっていくのを感じます。
 あなたの猫は幸せ者だ、とよく人に言われます。でも。本当に幸せになったのは、わたしのほうです。何かを愛してひたすら与え続けることは、たとえ愛し返されなくても、ちがう何かをいつのまに、利息つけて返されている。
 愛って、そういうものですよね。